阿弥陀寺の歴史

 阿弥陀寺は1239(延応元)年に真言宗の寺院として創建され、戦国時代初期の文明年間(1469〜87年)に蓮如上人が訪れたのを契機として浄土真宗に改宗しました。
 戦国の世には浄土真宗が東海地方に深く広がりを見せはじめ、尾張一帯における農民の多くが真宗に帰依しました。そうしたなか、室町期には当寺も末寺を抱えるほどの規模であったと伝えられています。しかし1570年(元龜1)に蜂起した伊勢長島の一向一揆に際し、当寺も門徒等とともにこれに加わりましたが、信長勢による弾圧にあい、寺の規模は大きく縮小させられました。その後、往来の要地である鎌倉街道にあって、東本願寺(大谷派)の重要な地方寺院として現在の規模にまで回復し、徳川中期(江戸時代中期)以降は、常陸国柿岡村如来寺の分地の二十四輩地としてその役を果たし今日に至ります。
 長島一揆での焼討ちや、二度の大戦によって、現在の阿弥陀寺は歴史的建造物としての指定は受けていませんが、かつての鎌倉街道は今も門前に残り、往時の繁栄がしのばれます。


 【略年表】
延応元年 (1239) 伊勢国安濃津の祐範により阿弥陀寺が創建。元は真言宗寺院で曩謨寺と称す。

文明年間 (1469頃) 蓮如上人が訪れたのを契機として浄土真宗に改宗。
当寺に伝わる「六字名号」(稲沢市指定文化財)は、その際に蓮如上人より付与されたものとされている。 《写真@》

永禄五年 (1562) 七月二十一日、「織田信長の裁許状」が下される。
《写真A》

元龜元年 (1570) 長島一向一揆
信長に対抗する石山本願寺の命に応じ、阿弥陀寺第三世住職の良意も末寺門徒等を率いてこれに加わる。
郷土の史料には、信長勢による焼討ちに遭い七堂伽藍を焼失したと伝えられている。

慶長十一年 (1606) 教如上人より「蓮如上人眞影」(稲沢市指定文化財)が付与される。《写真B》


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阿弥陀寺について