日々雑感2007
矛盾した知恵 (2007年12月7日) | |
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先日発表された今年の流行語大賞の中に「食品偽装」という言葉が選ばれていました。最近だけでも、三重の老舗和菓子会社や大阪の高級料亭、大手ファーストフードチェーンと不祥事が相次いでいます。私達にとってはいつ作られて何が入っているのかを知るには作り手の情報を信じるしかないのですから、そこでルールを破って嘘をつくなどということは言語道断だと思います。 |
自由であることの責任 (2007年9月26日) | |
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近ごろ見なくなりましたが少し前のテレビで、地球にやって来た宇宙人が空港で大騒ぎしている子供達を見て、「この星の親は、子供を叱らない...。」とつぶやく缶コーヒーのCMがありました。確かにそういう光景をよく目にする気がします。ただ、ひと昔前の子供には「子供らしさ」というものが求められ、子供だからという理由で理屈の分からない規則や態度を否応なしに押し付けられるということも多々ありましたので、そういう意味では健全な姿に近づいてきたという一面もあるのかもしれません。 |
エコロジー (2007年9月3日) | |
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ようやく暑さも落ち着いてきましたが、この夏は記録的な猛暑になりました。今年に限ったことではないのですが、この時期には決まって「お寺は涼しいんでしょう?」と尋ねられます。屋根の高い木造建築ということでそういうイメージがあるのでしょうが、本当に暑い時には実際はどこであっても大して変わりません。ましてや住宅地の中にある寺院ですので、周りをアスファルトの道路で囲まれて、エアコンの室外機の熱風がそこかしこから排出されている環境です。今の時代に自然の涼しさを求めるのはなかなか難しいことなんじゃないでしょうか。こういう話題になると「昔は良かった」とも言われるのですが、実際には、土煙やぬかるみに悩まされる舗装されない土の道路や、エアコンのない生活に戻れるのかというと考えてしまいます。昨今はエコロジーということが盛んに言われますが、せいぜいエアコンの温度を下げたり、環境にやさしい材料を使ってものを作るという程度のことで、元々それらのなかった生活に戻るということはそうそう考えられません。 |
理想と現実 (2007年7月10日) | |
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世間では宗教心というものは廃れてしまったもののように言われていますが、インターネット上では意外と活発に宗教の話題が交わされているのを目にします。こうした互いの顔が分からない世界の方が自分の心中を素直に披露し易いのかもしれません。そんな中、宗教家なんてものは理想論ばかり言って、実際生活していくには何の役にも立たないじゃないかという厳しい意見も度々目にします。 |
「近頃の若い者は・・・」 (2007年6月15日) | |
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当寺は名古屋近郊にあるのですが、その名古屋で先月から古代エジプトを舞台としたミュージカルが上演されています。それにちなんで、地元の新聞に、有名なエジプト考古学者に高校生が取材をするという企画が掲載されていました。その方が「今の高校生に言いたいことは」という質問に答えて、自分はエジプトの古文書で「学生が勉強しなくて困ったもんだ」とか「生きているのが嫌になっちゃったから死んでしまいたい」というのを読んでいるから、昔の人はこうだからこうしろという考え方はないのだと話しておられました。成程、大きな歴史の中に視点を置いておられる方は、高だか二・三十年長く生きているからといって、自分の観念を他人に押し付ける事の無意味さを感じておられるんだなあと教えられました。 |
「想像力」のある人間 (2007年5月15日) | |
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数日前、少し気になるニュースを目にしました。それは北海道での話ですが、約50年余りにわたってアイヌ民族の伝統儀式である「イヨマンテ」を禁止してきた通達が、この4月に撤廃されたというものです。この儀式は、熊の形をして訪れてきた霊魂を神の国に送り返すという意味を持つ儀式で、1・2年間飼育してきた熊を殺してその肉を皆にふるまうというものだそうです。これを北海道が「野蛮な行為で廃止されなければならない」として、約50年もの間事実上禁止してきたということです。確かにどんなに宗教的行事であるからといって生き物の命を奪うことが肯定されるものではないとは思いますが、少なくともこの行事ではその熊を皆でいただくということなのですから、私達の日々の食事と同じように、その生き物の命を大切なものとしていただいている行為のように私には思えます。 |
謝る事の難しさ (2007年4月2日) | |
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先日新聞を読んでいると、「日本ほど政治家の失言が問題にならない国も珍しい」と書かれた記事が目にとまりました。そういえばここ2・3ヶ月の間にも、女性を子供を生む機械に例えた政治家や、日本のような単一民族国家は世界でも珍しいという、日本国民である数々の少数民族の人々を無視するかのような発言をした政治家がありましたが、問題になったのもせいぜい一月かそこらで、今ではそんな話題はさっぱり聞かれなくなりました。かく言う私も、記事を読んでそういう事があったなあと思い出した次第です。方法の良し悪しは別として、他の国なら大規模な抗議行動が続いているであろうに、何事もなかったように件の政治家が元の地位に就いたままでいられるのは日本くらいのものだろうとその記事の最後は締められていました。 |
教育と調教の違い (2007年3月4日) | |
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愛知県の児童自立支援施設で、入所中の少年が警察に連行されていく様子を他の入所少年達に見せるという出来事がありました。施設によると、法を犯すとこういう責任を取らなくてはいけないという事を知らせる良い学習の機会になるということで、実際にその後入所者達がおとなしくなったとも言われていました。確かにルールを破るとどんな罰があるかを現実に見せるのは効果的な方法なのでしょうが、果たしてそれは本当の「教育」なのでしょうか。恐怖によって抑制するのならば、それは動物を「調教」するのとどんな違いがあるのでしょう。賛否両論ある教師の体罰などもそうですが、今回の出来事も、どうもそこのところが私の心に引っ掛かっています。愛情があるとかないとかいうことが言われますが、その手法が動物的な恐怖心に訴えかけるものであるという現実は変わらないように思うのです。 |
人生観の色々 (2007年1月24日) | |
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フランスで、全ての市民に住宅を保障することを行政に義務付ける法律を作る動きがあるそうです。約10万人のホームレス、他にも事情があって住宅が見つからない人が80〜100万人いるといわれている社会背景があってのことでしょうが、何より、欧州の人達に多くみられる、人間は財産の有無に関わらず平等にある程度のレベルの生活を送れなければならないという考え方がよく表れている出来事のように思います。日本でもこの時期になると、よく公園でホームレスの人達に炊き出しをしている様子がみられます。こういった活動も、出来るだけ平等にある程度の質の食物を分配したいという思いがあっての活動だと思います。 |