日々雑感2010
マニュアル化された人間関係 (2010年12月) | |
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今年の十大ニュースが各所で発表されています。その中で私が思い出されたのが、高齢者の所在不明が次々と発覚した事件です。最初は年金の不正受給の問題だと思っていましたのであまり興味を抱かなかったのですが、親族にも所在の分からない高齢者が大勢いることが分かると、いつの間にか報道が、現代の家族関係の希薄さを嘆く論調に代わっていったように憶えています。 |
チリ鉱山落盤事故の顛末 (2010年10月) | |
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チリの落盤事故で、地下に閉じ込められた作業員たちが救出される様子が日本でも中継され大きな注目を集めました。その一方で、事故で閉鎖されたこの鉱山で働いていた多くの作業員たちが、鉱山の閉鎖で失業状態となっているそうです。救出された三十三人の人たちの事は私も興味をもって見ていましたが、その事件で影響を受けた他の作業員の人たちの事には思いも及びませんでした。 |
欲深いもの (2010年9月) | |
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領土問題を巡って、中国との間に緊張関係が続いています。漁船衝突事件で逮捕した中国人船長を解放したことで収束するかと思われたのですが、今度はその謝罪と賠償を要求してきたということです。日本人の私からしますと、この出来事で中国というのは何と欲深い国なのだろうと思ったのが正直なところです。 |
私は人を殺した。人殺しは悪い。 (2010年8月) | |
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今年の原爆の日の広島での記念式典に、初めて駐日米大使が出席しました。日本人としては、こんな当たり前に思えることが大きなニュースになってしまう現状も寂しいのですが、米国内の原爆投下を正当だとする人々の間では、この行為が原爆投下への「無言の謝罪」にあたると反発する声も起こっているそうです。 |
一員でなく一人として (2010年6月) | |
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広島の自動車工場で自動車による無差別殺傷事件が起こりました。犯人は以前そのメーカーに勤めていた人だそうで、その父親も長年そのメーカーに勤務していたということです。詳しい動機はまだよく分りませんが、この企業は人間関係のトラブルにも気を使っていたそうで、犯人のこの行為には、本来ならば恩を感じて然るべき相手に対してこういう事件を起こすのはどういう了見なのだろうと感じる人も多いようです。 |
命の価値 (2010年5月) | |
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重度の知的障害のあった少年が施設での事故で亡くなり、その損害賠償額の算定を巡って裁判で争われています。将来の収入見込みから算定する「損失利益」が障害のために想定できず、ゼロと見積もられた事が争点となっているそうです。確かに、どれだけ稼げるかで賠償額に差が出るのは、その人の価値を低く見積もられたようで差別を感じるというのはよく分かります。ただ、金額で価値を判断する限り、合理的な区別だと言われればその通りだとも思います。母親がこの少年の事を、「働くためだけに生まれてきたわけではない」といわれる言葉が重く響いてきます。 |
農薬を使うということ (2010年4月) | |
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先日、名張毒ぶどう酒事件の再審請求で高裁への差し戻しが決定しました。これに伴って、当時ぶどう酒を飲みながらも奇跡的に助かった方へのインタビューが新聞に掲載されており、それが非常に印象深い、考えさせられるものでした。 |
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要まであと一年 (2010年3月) | |
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いよいよ来年には、浄土真宗の宗祖親鸞聖人の七百五十回忌法要が勤まります。それにしても、七百五十年というのは気の遠くなるような年数です。日本のように、これほどいつまでも亡くなったその日を大切にする慣習があるのは珍しいのだそうです。そこには仏教のものの見方というのも大きく影響している事と思います。例えばキリスト教では、イエスという常人を超えた存在が誕生した日をクリスマスとして盛大に祝います。一方仏教においては、お釈迦様が一人の人間として、私達に先立って悩みや苦しみに向き合いながら一生を生き抜かれたという事をとても大切にしてきました。そうして亡くなる時を、自分自身の人生を完成された時として、「涅槃」という言葉で頂いてきたのです。 |
冬季五輪が終わって。。。 (2010年2月) | |
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冬季オリンピックが終わりました。私は今回の大会にはそれほど興味が湧かなかったのですが、それでも日本選手が活躍するのは嬉しいものです。さて、今大会では開幕前から様々な方面で話題になった選手もありました。公式ウエアの着用に乱れがあったということで批判を受けたスノーボード代表選手もその一人です。私自身も、あのような状況で服を着崩すというのは好みでありません。しかし、この選手を批判する根拠がどこにあるのかというとを自分自身に問いかけてみた時に、個人的な好き嫌いという以外、どうもはっきりしないところがあって、世間の激しい批判もいまいちピンと来ませんでした。 |