日々雑感2011
非戦国家が武器輸出? (2011年12月) | |
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武器輸出三原則が大幅に緩和され、国際共同開発・生産への参加と人道目的での供与を解禁することが決まりました。元々の三原則自体も、武器輸出の全面禁止をうたっているわけではありませんが、実質的には全面禁輸政策を保ってきました。過去には個別に例外措置が取られた事例もあるとはいえ、今後一気になし崩しになり、戦争に加担する国になっていくのではないかと不安を覚えています。 |
馬鹿なやつ、愚かなやつ (2011年10月) | |
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復興対策担当相が、津波被害で亡くなった友人のことを「逃げなかった馬鹿な奴」と言われたそうです。当初は、その言葉尻をとらえてマスコミや野党議員の攻撃もありましたが、話の全体は、避難しなかった友人に対する無念さを言っておられたようで、その後大きな問題には発展しませんでした。近頃、会話の内容とは無関係に、問題になりそうな一言だけを抜き出して混乱を煽るような報道が目立つ中、今回は私たちが冷静に物事を受け止められたように思います。 |
虫供養 (2011年9月) | |
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色々な作物が収穫を迎えるこの時期、「虫供養」という言葉を耳にすることがあります。農作業で邪魔になる虫を駆除しておきながら、恨みを残さないように弔おうというのですから虫のいい話ではありますが、考えてみれば、近頃の私たちは虫を殺した罪悪感すら持たないことが多いように思います。そこには、古い時代の非科学的な風習だからと馬鹿にするわけにはいかないものを感じます。 |
よりそう (2011年8月) | |
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震災以降「よりそう」という言葉をよく耳にします。テレビでも「被災者の方々の悲しみ苦しみに寄り添って、あなたたちは一人じゃないと伝えていきたい」と言われる方があり、自分もそうありたいと思わされたことです。 |
快楽のリスク (2011年7月) | |
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モンゴルに国際的な核処分場を造る計画が進められようとしています。なぜ、ほとんどが大国や大都市のために排出されている核廃棄物を、モンゴルで処理することになるのでしょう。福島の原発事故でも、東京で大量に消費される電力をなぜ福島で作っているのかと話題になりましたが、それと根を同じくする問題です。 |
村上春樹氏「非現実的な夢想家として」 (2011年6月) | |
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6月10日、カタルーニャ国際賞を受賞された、作家村上春樹さんの「非現実的な夢想家として」というスピーチを目になされたでしょうか。今回の原発事故を受けて、私たちが「非現実的な夢想家」であることの大切さを確かめ直されるお話で、とても心に響いたスピーチでした。 |
これは自分の責任です (2011年5月) | |
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福島第一原発の事故において、事故発生直後の1号機への海水注入に関する政府・東電の対応の調査結果が発表され、その内容をめぐって随分と混乱がありました。特に専門家の発言に関しての、「言った」「言わない」の騒動には、こういう立場の人たちでもそんなレベルの口論をするのだと驚かされました。素人には「危険性がある」と、「可能性はゼロでは無い」との違いは分かりませんが、政府と専門家と電力会社が、今更ながらに事故対応の責任を押し付け合っているように見えて、どうにも悲しい気持がしてしまいました。 |
東北沖大地震 (2011年3月) | |
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関東・東北地方を襲った大災害で、今もまだ沢山の行方不明者や、被災地で苦労している方がおられます。更に、いつ収束するとも予想のつかない原発の状況を見ますと、今ここで普段と変わらない生活をしている自分がもどかしくも感じられます。 |
「一人」の尊さ (2011年2月) | |
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ニュージーランドで大地震が起こり、大勢の人が被害に遭われました。日本からも現地に救助隊が派遣されました。この、日本の救助隊は、「生存の可能性が少しでもあれば活動を続ける」という姿勢が海外から高く評価されているそうで、同国民として心強く思います。災害現場では、三日を過ぎると救命率が急激に下がるということです。しかし、それはあくまでも全体の確率の話であって、その後にでも助かる可能性のある一つの命を尊び、救出に全力を尽くしているのが日本の救助隊の姿勢だということです。 |
万年一年生 (2011年1月) | |
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まだまだ寒い日が続いています。勝手なもので、昨夏の猛暑続きが懐かしく思えるくらいです。先日、農業をされている方のお話で、去年の猛暑のおかげで秋に種をまく冬野菜の出来が芳しくないとお聞きしました。その時にその方がおっしゃられた、「私らはいつまでたっても一年生ですわ」という言葉がとても印象に残っています。確かに、農業というのは自然が相手のものですから、一年として同じ気象条件ということはありません。毎年が初体験のものだという言葉には、改めてなるほどとうなずかされます。 |