日々雑感2018


「場」の持つ力                   (2018年12月)

 前住職と前々坊守が相次いで命終いたしまして一年ほどになります。亡くなった直後には、お寺の中にもぽっかりと隙間ができてしまったような感覚を覚えたものでした。時が経った今では、少しずつこの状況に慣れてきたということもありますが、それだけでなく、何かその隙間を埋めても余り有るようなものを感じるようにもなってきました。
 実は、昨年は前々住職であります私の祖父が亡くなってちょうど二十年でした。祖父の亡くなったときは、よく祖父がまだ生きている夢を見たり、生活の中のふとした時に、祖父の生前の一場面を思い出すということがありました。ところが、思い返してみると今回は、父や祖母の生きていたころのことを思い出すことがほとんどないままにここまで過ごしてきました。とはいえ、二人の存在が私の中から消えてしまったわけではありません。祖父のときとは全く違った形で、二人が生きてくれたことを感じさせられることがよくあります。それは、本堂のお荘厳をしているときや、聞法会のために座敷の掃除や机並べをしているときにふと父の存在を感じたり、本堂で法話を聞いているときや、お内仏の前で何気なくお念仏を口ずさんでいるときに、何か祖母の存在が感じられたりという形で表われています。父や祖母が人生の芯として大切にしていた一つ一つの物事がその場所の雰囲気として残っており、それが私に伝わってくる、そんな不思議な感覚がそこにはあるのです。
 親鸞聖人は、最晩年に御門弟に書き送られたお手紙で、「私は先に亡くなっていくことになるでしょうが、必ず皆さん方をお浄土でお待ちしております」とおっしゃっておられます。まさか親鸞聖人が死後の世界を妄想してこのようなお言葉を残されたとは考えられませんので、この言葉をどう受け取らせていただけばよいのかと、私はこれまでずっと考え続けてきています。これまでも何度かこのお言葉が胸に落ちる状況があったのですが、今は、これまでとはまた違った気持ちでこのお言葉が聞こえています。それは、「浄土で待つ」というのは、先人たちが仏さまの教えを聞き続けてこられた空気がそこに留まっていて、それが、私が生き生きと生きることを後押ししてくださっている、そういう、今の私のような状態を表わしてくださったお言葉であったのかと感じるのです。


御同朋・御同行                  (2018年11月)

 昨年末、前住職の病気が判明し、入院したのが十一月のことでした。あれからもう一年、その時の私は本山の報恩講に団体参拝で出かけておりましたので、京都で知らせを聞いたことを思い出します。その一か月後、前住職は浄土へと往生いたしました。ようやく満中陰を迎えたところで、今度は百歳になる祖母が往生しました。ちょうど一年前の十一月から始まった、この混乱と憔悴の数か月は、今後の私の人生の中でも決して忘れることはできないだろうと思います。
 お葬式や、中陰中の七日七日をお勤めしていくなかで、親族の手助けや友人の心配りはもちろん有難く感じられたことですが、それにも増して私にとっては、いつもご一緒に仏様の教えを聞いていくお仲間がいてくださるということ、そして定期的にそういう聞法の場があったということが、何より生きる力となりました。悲しみや喪失感を、慰めや気を紛らわすことで晴らすというのでなく、その中にこそ本当の生きる意味をたずねていこうとすることで、私の人生も、亡くなった父・祖母の人生も輝き出したのです。自分一人では沈み込み投げ出したくなる気持ちを、そういう方向へと向けてくださる力が、共に聞法させていただく場にはあります。
 さて、もうすぐ当寺でも「報恩講」が勤まります。いつもお参りいただく方はもちろん、まだお参りになられたことがない方も、一度思い切って足をお運びになってみてください。必ず、生きていくうえでの大切な何かとの出遇いがあります。


法衣の意味                    (2018年10月)

 私のような者でも、衣をつけてお参りに伺わせていただくと、清廉な雰囲気や智慧深い印象をお持ちいただくことがあるようです。そういうなかで率直な話を交わさせていただいていますと、良い意味か悪い意味か分かりませんが、「お坊さんというのはもっと世間離れした、私たちとは違う世界の人だと思っていた」と言われることがあります。私自身は欲まみれの人間ですから、その清廉な空気というのは、衣を着る私ではなく、私の着ている衣がまとっているものなのでしょう。
 僧侶の着るものを「法衣」とよぶこともありますが、これは「法要の時に着る衣服」という意味だけでなく、「私たちに法(真実)を伝える衣服」という意味も込められている言葉です。では、その「真実」とは何なのでしょう。法衣を前にしたときに浄らかさや智慧深さを感じるということは、ひるがえって見れば、自分自身の欲深さや愚かさが省みられているということです。自分のことを清廉で智慧深い人間だと思い込んでいるうちは、本当に浄らかで智慧深いものに出会っても心を動かされることはありません。真実に出会うというのは、「汚く愚かな私の真実」が照らし出されることなのです。
 ですから、清らかさ厳かさというのは、決して崇め奉る対象ではありません。それによって、この私自身の内面が映し出される鏡のようなものです。仏さまの教えにそのはたらきを実感したご先祖さま方が、法要の際に身につける「法衣」というものに、その空気をまとわせてきてくださったのだと思うと、頭が下がらずにはおれません。


「あたりまえ」は守るもの             (2018年9月)

 沖縄県知事がお亡くなりになられました。権力に対しても、「あたりまえ」のことをあたりまえに言われた方でした。もうその姿に出遇うことができないと思うと、たいへん残念な気持ちです。
 度重なる訓練機の墜落に見られるような危険と隣り合わせの生活、戦闘機の轟音にさらされ続ける落ち着かない生活、何より、「軍隊」という人殺しの訓練を受けている団体のそばで暮らすという緊張感の張り詰めた生活を否応なくされるのは、誰にとってもおかしいことです。ところが、「大多数の国民のことを考えると沖縄が負担を負うのがふさわしい」という理屈や、「実際、沖縄の人も米軍の落とすお金で生活が成り立っているのでしょう」という声などによって、その現状に異を唱えづらくされています。「公共」や「経済」を盾にして、人として「あたりまえ」のことをあたりまえに言えない空気が作り出されているのです。
 「あたりまえ」のことなのだから、あたりまえに言えば良いだけではないかと頭では考えるのですが、実際には、忖度をしないでものを言うのはずいぶん難しいものです。そうこうしているうちに、「あたりまえ」のことが「あたりまえ」であることすら、自分では分からなくなって、他人も自分も傷つけていってしまうということがあります。「あたりまえ」を守るのは大変なことなのだとあらためて思い知らされます。


猛暑                       (2018年8月)

 小学生の息子が夏休みに入って半月ほどが経ちました。毎日のように虫取り網を持って外を駆け回っているのですが、今年の夏の暑さは尋常ではありませんから熱中症が心配です。炎天下に飛び出していこうとする息子を思いとどまらせるのに一苦労の毎日が続いています。とはいえ、一日中冷房の効いた部屋に押しとどめておくのも不健康に思われますし、どれくらいまで外遊びを許可するか、そのさじ加減に悩まされています。
 ともかく、近ごろの暑さは、私の子どものころとは質が違って、命にかかわるような暑さです。「自分の子どものころはこんなものだった」「去年はこうしていた」といった経験を頼りにはできません。そこのところを油断したために、例年と変わらないような活動を行って、小さな子供の命を亡くしてしまう悲しい事故が起こった小学校もありました。この世の中に「慣例だから大丈夫」というようなものは一切無いのだということが思い知らされる出来事ではなかったでしょうか。
 今回の暑さ対策のことだけにとどまらず、世の中のどんな事柄に対しても、経験や知識というものは、判断をする参考にはなっても絶対的な根拠とは成りえません。ところが、私たちは普段、その何の根拠にもならないようなものを頼りにして生きています。そして、上手くいかないと、自分に誤りはないのにその対象の方に非があるのだと決めつけて、腹を立てることもしばしばです。経験や知識を超えた本当の根拠になるものを、仏さまの教えに聞いていくしかない私です。


「死ぬことができる」自分を生きる          (2018年7月)

 前住職である父が亡くなってから先月末で半年になりました。今でもよく皆様から「寂しくなったね」と声をかけていただきます。いつでも心に思い浮かんでいるというわけではありませんが、たまにふっと父のことが思い出されることがあります。よく、亡くなった方の元気なころの姿が偲ばれるというお話を耳にしますが、私が思い出す父は、日常の姿ではなく、息を引き取るその瞬間であることがほとんどです。
 それまではこの世に生きていた人が、その瞬間をもってもうこの世にはいないのです。あれだけ大変に考えていた「死」というものが、こうも簡単に起こるのかと、あっけにとられた気分でした。同時に、そのとき私が感じたのが、「どんな人でもちゃんと死ねるんだ」という思いでした。屈強な体つきというわけではありませんが、病気らしい病気もしたことがなく、亡くなるということなど全くイメージの出来ないような父であっても、この世の縁が尽きればちゃんと亡くなっていくのだということが、不思議な感覚で受けとめられたものでした。
 その父の姿は、これだけこの世に執着を持って、しがみついて生きている自分であっても、時が来ればちゃんと人生を完成させていくことができるのだという確信を与えてくれています。今でも死ぬことは怖いですし、いつまでも生きていたいという思いは無くなりませんが、そんな自分であっても、必ず人生の完成する「死」の瞬間を迎えられるという現実からは、何か生きる勇気のようなものを頂けているのです。


本物の自尊心                   (2018年6月)

 自分のしたことの非を自ら認めるのは本当に難しいことです。自分のしてきた行為の過ちを認めると、築き上げてきた今の自分のすべてが否定されるように感じてしまうからです。たとえそれがよくないことだと感じていたとしても、「その当時の時代状況では仕方のないことだった」と弁解したり、「それ自体は悪いことかもしれないけれど、それ以上に良い結果をもたらした面の方が強い」と主張したりして、自己弁護を重ねがちです。
 一昔前のテレビでは性的少数者がからかいの対象にされることが多かったのですが、そういう時代だったのだからそれを笑って見ていた私もしようがなかったのでしょうか。開発で住み慣れた家を追われた方たちがありますが、多くの人が便利に暮らすためには少しの犠牲は仕方のないことでしょうか。傷つけた側は自分に折り合いをつけてすぐにそのことを忘れていきますが、傷つけられた側の痛みは簡単に消えるものではありません。
 アメリカでは、いまだに原爆投下について「戦争を早く終わらせ、結果的に多くの人の命を救った」と肯定的に言われます。被爆国に住む私にとってその言葉がどう聞こえるかは、私自身が自分の過ちを自己弁護して肯定することで人にどんな思いをさせているかを教えてくれます。築き上げた自分に固執しても、本物の自尊心は頂けません。


祖母の介護                    (2018年5月)

 身内を介護施設にあずかっていただくことになったとき、本人のみならず、家族もいろいろな思いを抱きます。私自身、昨年末に父が入院し、母がその付き添いで一日中不在になって以来、祖母をショートステイであずかっていただいておりました。これまで祖母の世話を続けてきた父母がそろって不在になり、私と妻ではとても目の届かない状況でしたので、仕方のないことだと自分に言い聞かせてはいたものの、家に居らせてあげられない後ろめたさを感じずにはおれませんでした。
 ただ、職員の方に手厚くお世話していただき、いざ施設に落ち着いてみると、祖母自身からは、「ここだったら、いつも人が気にかけてくれて安心だ」という言葉が聞かれました。身内ではない、少し距離のある関係だからこその安心感がそこにはあったようです。血のつながった者でなくては本当に心穏やかな生活は送らせてあげられないという考えが、私の思い上がりであったのだと知らされました。
 親鸞聖人は、「わたしは父母の孝行のために念仏を称えたことは一度もない」と言われました。冷たい言葉にも聞こえますが、そうではありません。血縁関係の遠い近いだけではない、私たちの考えの範疇を超えたもっと深いところで人間は関わり合っているのだということです。そういう人間関係の尊さを、祖母から教えられたように思います。


インフルエンザの熱のなかで            (2018年4月)

 流行遅れのインフルエンザに罹ってしまいました。一週間ばかり、ご門徒の皆さん方にも大変ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。これまで気軽に代理を頼んでいた前住職の居ないことをあらためて痛感させられましたが、親しい僧侶の方に支えていただき、日程変更のきかない法要は代わりにお勤めいただくことができました。
 さて、熱で臥せっていた四五日の間、朦朧とする中で私の頭に浮かんできたことというと、「早く熱が引かなければ日曜日のご法事にお参りできない」「たまった事務仕事があったのに、いつやれるだろう」といった俗な事ばかりでした。親鸞聖人の奥様のお手紙に、聖人が熱で数日臥せっておられた時のご様子が書かれたものがあるのですが、目を閉じておられるとお経の文字が浮かんできて、それを二日ばかりずっと読み続けていたとおっしゃられます。私とは違って立派なことだなと思ってしまうのですが、親鸞聖人御自身は、自分がまだお経の言葉に執着して、この期に及んでも「南無阿弥陀仏」の一言が素直に出てこなかったと、深く反省しておられます。
 もちろん今回臥せっていた私の口から念仏が出てくることもなかったのですが、体を横たえながら、先日往生した祖母の最後の二週間がしきりに思い出されておりました。目を覚ますたびに絞り出すような声で「ナンマンダブツ」と称えていた祖母。あの祖母の念仏がどこから出てきたのかをたずね続けていくことが、私のこれからの課題だと考えています。


前々坊守の往生                  (2018年3月)

 昨年末の前住職に続いて、先月、前々坊守である祖母が往生を遂げました。寒いなかを葬儀にお参りいただきました皆様方には、本当に有り難うございました。家族の中ではとりわけ元気であった二人が相次いで亡くなったということで、ポカンと穴が開いてしまったような気分がしております。病気らしい病気もしたことがなく、「亡くなる」ということなど全くイメージのできなかった二人なのですが、どんな者でも、機が熟すれば必ずお浄土へと還らせてもらうことになるのだということを、改めて思い知らせていただきました。
 祖母の場合は満百歳という長寿でしたので、皆さんからも「その歳まで元気な家族がいるのは幸せなことだね」とよく声をかけていただいておりました。もちろん有り難いことではありますが、百歳まで生きられるということはそれ相応のパワーがある人だということでもあり、現実には、それに振り回される大変さも味わわせてもらったことです。まだ私などは孫という立場ですから、ほとんど可愛がられるばかりで、実際にそこに携わったのは最期の三カ月ばかりのことでしたが、母や父の苦労は少なくなかったことと思われます。
 父の入院後、忙しさで余裕の無いなか、私も祖母に対してきつい言葉を投げかけてしまうことがありました。それでも、身勝手な思いですが、「ずっとここに居てほしかった」というのが偽らざる心境です。そういう、「そこにいるだけでいい」という人間の根本の尊さを感じさせてくれた祖母でありました。


辞書にある言葉                  (2018年2月)

 皆さんにはあまりなじみのない言葉かと思いますが、浄土真宗では、住職の配偶者など、お寺をお守りしていく者を「坊守」と呼びます。最新版の「広辞苑」で、その「坊守」が「浄土真宗で、僧の妻」と説明されていることについて、岐阜県で坊守を務める男性が「説明が不正確だ」として出版元に訂正を求めたということです。それに対して辞典の編集部の方は、指摘は真摯に受け止めるものの、「一般的、典型的な意味を掲載した」もので、それも辞典の役割だと言っておられます。確かに、住職といえば男性僧侶がなるのが当たり前とされてきた教団の歴史もありますから、これまでの「坊守」という言葉の使われ方からすれば、この説明文は分かりやすいように思われます。
ただ、私たちが注意しなくてはいけないのは、「分かりやすい」というのは、必ずしも真実を表わしているわけではないということです。むしろ、自分にとって都合の良い、自分の考えにそぐう言葉を、私たちは「分かりやすい」と受けとめがちなものです。「一般的、典型的」という言葉も同じで、多数派であるということを盾にして、自分の「我」を肯定することが私たちにはよくあります。そして、それが高じて少数派を異端として切り捨てることまでしてしまうのが私たちです。今回の件も、たかが言葉と侮るわけにいかない問題です。


前住職の往生にあたって              (2018年1月)

  昨年末、前住職が往生の素懐を遂げました。慌ただしい年の瀬にもかかわらず葬儀にお参りいただきました皆様方には、たいへん有り難うございました。ひと月余りの入院であっという間に浄土に還っていきましたので、驚いて駆けつけたとおっしゃってくださる方もたくさんいらっしゃいましたが、私たち親族にとりましても、思いのほか早い時期での命終となりました。
 実際に病が確定してからの闘病期間は短いものでしたが、そのあいだでも、病状の変化に一喜一憂、心の揺り動かされる毎日でした。私自身、父の病状が思わしくないのは感づいておりながらも、検査結果が出るまでは、「肺気腫ができているだけでたいしたことはないだろう」と思い込もうとし、肺癌だと診断されても、「今どき癌なんて手術でとってしまえば大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、転移があちこちに見つかったと聞いても、「近ごろはいい抗癌剤があるということだし…」と、どこまでも、この世から父がいなくなるということを本気で考えないようにしながら過ごしてきました。
 「人間はこの世の縁が尽きれば浄土に生まれるものだ」と教えられ、それを分かったつもりになっておりましたが、実際に父が浄土に生まれようとしているのを、なかなか素直に送り出せない私でした。そんな、身内への愛欲に縛られる私を振り切って、父は、お浄土へと生まれていくことで、「人生を完成するというのはこういうことだ、おまえはここに向かって生きているのだ」ということを、身体全体で教えてくれたことでした。

「過去の日々雑感」に戻る

ご意見等お教えください

 当コラムに関するご意見・ご感想・お問い合わせは、下記のアドレスまでいただければ幸いです。

amidaji7@yahoo.co.jp