日々雑感2018
「場」の持つ力 (2018年12月) | |
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前住職と前々坊守が相次いで命終いたしまして一年ほどになります。亡くなった直後には、お寺の中にもぽっかりと隙間ができてしまったような感覚を覚えたものでした。時が経った今では、少しずつこの状況に慣れてきたということもありますが、それだけでなく、何かその隙間を埋めても余り有るようなものを感じるようにもなってきました。 |
御同朋・御同行 (2018年11月) | |
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昨年末、前住職の病気が判明し、入院したのが十一月のことでした。あれからもう一年、その時の私は本山の報恩講に団体参拝で出かけておりましたので、京都で知らせを聞いたことを思い出します。その一か月後、前住職は浄土へと往生いたしました。ようやく満中陰を迎えたところで、今度は百歳になる祖母が往生しました。ちょうど一年前の十一月から始まった、この混乱と憔悴の数か月は、今後の私の人生の中でも決して忘れることはできないだろうと思います。 |
法衣の意味 (2018年10月) | |
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私のような者でも、衣をつけてお参りに伺わせていただくと、清廉な雰囲気や智慧深い印象をお持ちいただくことがあるようです。そういうなかで率直な話を交わさせていただいていますと、良い意味か悪い意味か分かりませんが、「お坊さんというのはもっと世間離れした、私たちとは違う世界の人だと思っていた」と言われることがあります。私自身は欲まみれの人間ですから、その清廉な空気というのは、衣を着る私ではなく、私の着ている衣がまとっているものなのでしょう。 |
「あたりまえ」は守るもの (2018年9月) | |
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沖縄県知事がお亡くなりになられました。権力に対しても、「あたりまえ」のことをあたりまえに言われた方でした。もうその姿に出遇うことができないと思うと、たいへん残念な気持ちです。 |
猛暑 (2018年8月) | |
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小学生の息子が夏休みに入って半月ほどが経ちました。毎日のように虫取り網を持って外を駆け回っているのですが、今年の夏の暑さは尋常ではありませんから熱中症が心配です。炎天下に飛び出していこうとする息子を思いとどまらせるのに一苦労の毎日が続いています。とはいえ、一日中冷房の効いた部屋に押しとどめておくのも不健康に思われますし、どれくらいまで外遊びを許可するか、そのさじ加減に悩まされています。 |
「死ぬことができる」自分を生きる (2018年7月) | |
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前住職である父が亡くなってから先月末で半年になりました。今でもよく皆様から「寂しくなったね」と声をかけていただきます。いつでも心に思い浮かんでいるというわけではありませんが、たまにふっと父のことが思い出されることがあります。よく、亡くなった方の元気なころの姿が偲ばれるというお話を耳にしますが、私が思い出す父は、日常の姿ではなく、息を引き取るその瞬間であることがほとんどです。 |
本物の自尊心 (2018年6月) | |
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自分のしたことの非を自ら認めるのは本当に難しいことです。自分のしてきた行為の過ちを認めると、築き上げてきた今の自分のすべてが否定されるように感じてしまうからです。たとえそれがよくないことだと感じていたとしても、「その当時の時代状況では仕方のないことだった」と弁解したり、「それ自体は悪いことかもしれないけれど、それ以上に良い結果をもたらした面の方が強い」と主張したりして、自己弁護を重ねがちです。 |
祖母の介護 (2018年5月) | |
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身内を介護施設にあずかっていただくことになったとき、本人のみならず、家族もいろいろな思いを抱きます。私自身、昨年末に父が入院し、母がその付き添いで一日中不在になって以来、祖母をショートステイであずかっていただいておりました。これまで祖母の世話を続けてきた父母がそろって不在になり、私と妻ではとても目の届かない状況でしたので、仕方のないことだと自分に言い聞かせてはいたものの、家に居らせてあげられない後ろめたさを感じずにはおれませんでした。 |
インフルエンザの熱のなかで (2018年4月) | |
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流行遅れのインフルエンザに罹ってしまいました。一週間ばかり、ご門徒の皆さん方にも大変ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。これまで気軽に代理を頼んでいた前住職の居ないことをあらためて痛感させられましたが、親しい僧侶の方に支えていただき、日程変更のきかない法要は代わりにお勤めいただくことができました。 |
前々坊守の往生 (2018年3月) | |
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昨年末の前住職に続いて、先月、前々坊守である祖母が往生を遂げました。寒いなかを葬儀にお参りいただきました皆様方には、本当に有り難うございました。家族の中ではとりわけ元気であった二人が相次いで亡くなったということで、ポカンと穴が開いてしまったような気分がしております。病気らしい病気もしたことがなく、「亡くなる」ということなど全くイメージのできなかった二人なのですが、どんな者でも、機が熟すれば必ずお浄土へと還らせてもらうことになるのだということを、改めて思い知らせていただきました。 |
辞書にある言葉 (2018年2月) | |
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皆さんにはあまりなじみのない言葉かと思いますが、浄土真宗では、住職の配偶者など、お寺をお守りしていく者を「坊守」と呼びます。最新版の「広辞苑」で、その「坊守」が「浄土真宗で、僧の妻」と説明されていることについて、岐阜県で坊守を務める男性が「説明が不正確だ」として出版元に訂正を求めたということです。それに対して辞典の編集部の方は、指摘は真摯に受け止めるものの、「一般的、典型的な意味を掲載した」もので、それも辞典の役割だと言っておられます。確かに、住職といえば男性僧侶がなるのが当たり前とされてきた教団の歴史もありますから、これまでの「坊守」という言葉の使われ方からすれば、この説明文は分かりやすいように思われます。 |
前住職の往生にあたって (2018年1月) | |
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昨年末、前住職が往生の素懐を遂げました。慌ただしい年の瀬にもかかわらず葬儀にお参りいただきました皆様方には、たいへん有り難うございました。ひと月余りの入院であっという間に浄土に還っていきましたので、驚いて駆けつけたとおっしゃってくださる方もたくさんいらっしゃいましたが、私たち親族にとりましても、思いのほか早い時期での命終となりました。 |